2024/01/21
地元の人には「黒谷(くろだに)さん」と呼ばれて親しまれている金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)に行ってきました!
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承安5年(1175年)に法然上人が浄土宗の確立のために、この地に庵を結んだのが始まりで、以後、浄土教の念仏道場として栄え、後光厳天皇より「金戒」の二字を賜り、金戒光明寺と呼ばれるようになりました。
高麗門をくぐって緩やかな坂を登って行くと、左手にある階段の先に立派な山門が見えます。
山門は応仁の乱で焼失し、1860年に再建。
山門をくぐって先に進むと、勢至丸(せいしまる:法然上人の幼名)のかわいらしい銅像がありました。
さらに階段を上ると、正面に立派な御影堂。
撮影禁止ですが、堂内に入ることができます。運慶作と伝えられている文殊菩薩像がありました。
慶長10年(1605年)に豊臣秀頼が再建した阿弥陀堂。
金戒光明寺の見どころはこれだけではありません!
山門をくぐって右手方向に進んでいくと、極楽橋という橋があります。
この橋を渡ると、徳川二代将軍秀忠の正室「江(ごう)」の供養塔への案内があったので、行ってみました。
上野樹里さん主演でNHKの大河ドラマにもなりましたよね。父は浅井長政、母は、織田信長の妹のお市。
この供養塔は、徳川三代将軍家光の乳母である春日局(かすがのつぼね)が建立したもの。
先ほどの極楽橋を渡った先にある階段の途中には、アフロヘア(?)の仏像が鎮座しています(;゚Д゚)
この仏像は、「五劫思惟阿弥陀仏(ごこうしゆいあみだぶつ)」という名称で、気の遠くなるような長い時間、思惟をこらし修行をされた結果、髪の毛が伸びて渦高く螺髪を積み重ねた頭となられた様子を表しているそう。全国で16体しか見られない珍しい仏像です!
そのまま階段を上っていき、案内に沿って奥に進んでいくと、会津藩の殉難者墓地があります。
何故、会津藩の墓地が京都の金戒光明寺にあるのかというと、幕末に京都では暗殺や強奪が日常化していたため、徳川幕府は、京都の治安維持のために、会津藩主の松平容保を京都守護職に任命しましたが、京都守護職の本陣が金戒光明寺に置かれたため。近藤勇らを配下としたので、金戒光明寺は、新選組発祥の地とも言われています。
この墓地には、京都守護職が置かれた文久2年(1862年)から5年間の間に亡くなられた方々のお墓と慰霊碑があります。
墓地は高台にあるため、見晴らしもいいですよ(・∀・)
=金戒光明寺=
<住所>
京都市左京区黒谷町121
<アクセス>
JR京都駅から市バス5番で「天王町」下車 徒歩15分
市バス100番で「岡崎道」下車 徒歩10分
<地図>